新聞記事に見る横浜外国人墓地と山手1988~2002

SCRAP:新聞記事に見る横浜外国人墓地と山手1988~2002

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横浜外国人墓地資料館の
建設運動を進めるジョン・コモルさん

1992.09.20 読売新聞社・東京朝刊

 John KOMOR 横浜市生まれ。聖ヨゼフ学園高校卒。昭和38年、東京・浅草に商社を設立。財団法人横浜外国人墓地副会長。56歳。
「エキゾチックな横浜を象徴し、しかも半永久的に使える立派な建物を造りたい」 
 目をつぶれば、外国人とはわからないほど流暢な日本語で話す。  

 横浜山手の小高い丘の上にある外国人墓地。これまで使われてきた木造平屋建ての管理事務所に代わる鉄筋三階建て、延べ二百二平方メートルの資料館を建設しようと募金活動に奔走している。篤志家からの申し出が相次いでいるが、目標額の二億円にはまだ遠い。 
 新資料館は、二階の正面玄関が資料展示室に通じ、一階が特別展示室と収蔵庫、三階が管理事務所。来年夏に着工し、約一年後に完成させたいという。「資金が足りなければ、ローンを組んででも予定通り実現してみせます」と強気だ。 

 二万八千平方メートルを超える広大な墓地の一角には、国産ポケットライターの生みの親として知られるハンガリー人の父ジョージ・コモルも眠る。
 「貿易商だった父からは、どのメーカーを訪ねても笑顔で迎えられるような信頼関係を築け、とのビジネス哲学を学びました」 
 横浜生まれの横浜育ち。高卒後、父親の仕事を手伝っていたが、親譲りの商才を生かし、オモチャなど雑貨類を輸出する専門商社を設立。日本人の妻、美代さん(53)と二人三脚で経営にあたっている。 
「父の祖国に行ってみたいと思ったことはありません。私の故郷は日本です」。
 そう言い切った顔には、日本の中の外国文化を守り続けていこうという決意が宿っていた。

桜移植の記念に歩く 
シドモア国際サクラウオーク

朝日新聞社1994.04.04 東京地方版/神奈川

 ワシントン・ポトマック河畔に日本のサクラを移植するきっかけをつくったアメリカ人、エリザ・シドモアさんを記念する「第三回シドモア国際サクラウオーク」(日本歩け歩け協会、日本さくらの会など主催)が三日、横浜市内で開かれた。

 JR桜木町駅近くの帆船日本丸広場から、シドモアさんが眠る横浜市中区山手町の横浜外国人墓地、根岸森林公園を巡る一〇―一五キロのコースだ。幼児から百歳までの参加者約千二百人は、四月下旬並みの陽気のなか健脚を競った。ドイツ・ハンブルクでサクラの女王に選ばれたブリッタ・マティーゼンさん(二六)も訪れ、参加者たちに声援を送った。 
 すでに開花宣言があったとはいえ、市内のサクラはまだ二分咲き。横浜市泉区の菅井晴美さん(四三)は「サクラを楽しみながら歩こうと思ってたのでちょっと残念です」と話していた。

横浜外国人墓地に資料館、
歴史を映す異国の生涯

1994.11.05 西日本新聞社・夕刊

 長崎と並ぶエキゾチックな街・横浜。港が見おろせる横浜外国人墓地(横浜市中区山手町)は人気スポットのひとつだが、その一角に墓地資料館が十月下旬オープンした。四十数カ国の四千五百人余が永眠する墓地の由来や、埋葬されている主な外国人をパネルなどで紹介。資料館をのぞけば、幕末から明治にかけ日本の近代化に貢献しながら異国で生涯を閉じた人々を通じてミナト・ヨコハマの歴史が見えてくる。 

 資料館は、墓地の管理維持にあたる財団法人・横浜外国人墓地(ジェラレディン・ウィルコックス会長)が開設。昭和十一年に建てられた木造の管理事務所が老朽化し、建て替え期を迎えたのが発端となった。 
 洋館仕立ての建物はこぢんまりとした三階建てで、二階が常設展示室(六十八平方メートル)。窓からは広さ二万九千平方メートルの墓地が見渡せる。管理員の樋口詩生さんによると、埋葬されているのは英国人が最も多く約一千五百人、次いで米国人約一千人、ドイツ人約三百五十人、さらにフランス人、ロシア人の順という。 
 幕末の安政六年(一八五九年)、入港していたロシア艦隊の水兵二人が殺害され、埋葬されたのが記録として残る最古の墓。この時、幕府は永久的に供養することを約束した。開国が進むにつれ、日本で亡くなる外国人が増えたため、専用の墓地を整備することになり、今に至っている。 
「どういう人だったか分かっているのは、このうち一千人ぐらいでしょうか」と樋口さん。
 展示は、資料の残っている主な外国人のプロフィールを横浜の歴史とからめて説明している。 

 薩英戦争の原因となった生麦事件(文久二年、一八六二年)の犠牲者チャールズ・リチャードソン、日本初の鉄道建設のため明治三年に招かれた英国人技師モレル、官営製糸工場・富岡製糸所を設計したフランス人バスチャン、生糸輸出と時計輸入のスイス人商人エリスマン、ビール醸造所を造ったノルウェー人のコープランドら多彩だ。 居留民のために開催された競馬、婦女子がつくったテニスクラブなど「外国人による横浜もの始め」コーナーもあり、当時の外国人の暮らしもうかがえる。 
 ボランティアで墓地清掃やガイドをしている「横浜外国人墓地を愛する会」の大藤啓矩事務局長は「これまでは墓地をちょっと眺めて帰る人が多かったが、資料館ができたことで横浜をより分かってもらえるのでは」と喜んでいる。 資料館は月曜日(休日の場合は火曜日)を除いて公開。午前十時から午後四時まで。入館無料。

[編集手帳]
外国人墓地の維持運営に支援を

読売新聞社1996.10.15 東京朝刊

 明治五年十月十四日、新橋―横浜間に鉄道が開通して、きのうは記念の「鉄道の日」。わが国初の鉄道工事を指導したイギリス人の青年技師エドモンド・モレルの功績をしのぶ日でもあった。

◆明治新政府に招かれたモレルは、日本人技師の養成にも尽力したが、病を得て、開通をみることなく二十九歳で死去。横浜の外国人墓地に眠っている◆幕末に設営の歴史をたどるこの外国人墓地には、現在、約四十か国の四千五百人が埋葬されている。モレルだけでなく、開国後の日本の近代化に尽くした技術者、教師、宣教師、ジャーナリストらの墓も少なくない◆日本政府が永久無償貸与しているこの墓地は、しかし、維持運営の資金難に苦しむ。市民団体「横浜外国人墓地を愛する会」が募金運動を展開、辛うじて支えているのが現状だ◆十一月六日には、小沢征爾さん指揮、神奈川フィルハーモニー管弦楽団などによる支援のチャリティーコンサートも横浜市内で催される。すでにチケットは完売で、純益は墓地管理に寄付される◆「日本を愛し、近代化に貢献した多くの外国人たちと、その墓地の持つ歴史的意味を再確認してほしい」。鎮魂のタクトを振るう小沢さんとともに、「愛する会」の人々は幅広い支援を呼び掛けている。